資金の壁・学力の壁を打ち破れ(あとがきより)

43歳で薬剤師として働きながら私立大学医学部に入学し、
医師になった著者が教える学費調達の指南書。私自身、社会人をしながら医学部受験をするというのは、道なき道を進んでいくようなものであった。
学力の壁と資金の壁が大きく立ちはだかっていたからだ。
本書では資金面での方策を中心に紹介した。
現在、私立医学部受験生にとって、私が医学部に入った頃よりも資金的なハードルがかなり低くなってきている。
ぜひ積極的に情報を収集して、夢を実現してほしいと思う。

「読書のススメ」第1回目著者インタビューのゲストは、40代で薬剤師から眼科医へのキャリアチェンジを見事果たされた、大﨑俊卓先生です。「高校生.com」の鬼英語コーチ☆サヤコとFPひさみんが、医療業界の裏話を色々お話を伺いました。

遊びに夢中だった高校時代

avatar
サヤコ
大﨑先生は宮崎ご出身なんですね。ご自身はどんな高校生でしたか?
avatar
大﨑先生
数学と英語は得意でしたが、国語が大の苦手で本も読んでいませんでしたね(注:現在は超読書家)。部活には入っていませんでしたが学園祭が大好きで、映画を作ったり代表委員として活動していました。川下り大会なんかにも出場していましたね。
avatar
ひさみん
かなりアクティブな高校生だったんですね!その頃からお医者さんになりたかったんですか?
avatar
大﨑先生
いや、高校生の時はボヤーンとしてて(笑)みんなで野球やったり学園祭やったり、遊ぶことしか考えていないような感じで。でも親が教育熱心で、予備塾に行ったりはしていました。
avatar
ひさみん
で結局、薬剤師を目指されたんですね。
avatar
大﨑先生
実は実家が薬局で、家族や親戚も見渡す限り薬剤師なんです。資格も取れますし親にも勧められたので、家業を継ぐことに。

結局、高校卒業後、東京薬科大学薬学部に進学しました。薬学に関しては伝統のある大学です。開局薬剤師になることは最初から決めていたので、卒業後は東京大学医学部附属病院で調剤の経験を2年間積んだ後、帰省しました。

薬剤師は儲かったけど・・・

avatar
サヤコ
東京で資格を取って2年間働いた後、宮崎で家業を継がれたわけですね。
avatar
大﨑先生
はい。でも親がやっていた薬局は一般薬を販売していたので、あまり儲からなかった。なので34歳の時に眼科調剤薬局を始めて、収入を劇的にアップすることに成功しました。
avatar
サヤコ
調剤薬局・・・。そういえば日本に帰ってきた時、処方箋を取り扱う薬局がとても少なくて不思議に思っていたんです。シドニーだと、ほとんどの薬局で調剤してもらえるので。
avatar
大﨑先生
それは日本とオーストラリアのシステムの違いですね。日本では、医者の許可がないと調剤薬局になれないんですよ。なのでお医者さんと仲良くなれるような人じゃないと、たとえ経験やスキルがあったとしても調剤薬局を開業することができないんです。
avatar
ひさみん
え、それって・・・かなり不公平じゃないですか!?
avatar
大﨑先生
おっしゃる通りです。このままだと、得をするのは医者と一部の薬剤師のみですから。

正直な所、医者になった今より調剤薬局をやっていた頃の方が年収はずっと上でした。なのでお金のために医者になったわけではないんです。
avatar
サヤコ
調剤薬局ってそんなに儲かるんですか!これは薬剤師を目指している若者たちにとっても耳寄り情報ですね(笑)
avatar
ひさみん
でも収入がダウンすることが分かっていながら、医者へのキャリアチェンジを40代で決意されたんですね。どんな理由があったのでしょうか?
avatar
大﨑先生
私にとって「良い仕事」というのは、「裁量権が大きい=自分の判断で決断を下すことができる」仕事だと気づいたからです。

調剤薬局は確かに儲かっていましたが、裁量権があまりないので面白くなかったんです。なので、より裁量権のある医者という仕事に就きたいと思ったわけです。もちろんお金も大事ですが・・・。

念願の医師への道

avatar
サヤコ
ということは、薬局を経営しながら受験勉強を開始した訳ですね。当時はどんなスケジュールだったんですか?
avatar
大﨑先生
午前8時前から午後9時まで働いていました。そんな状態なので、勉強時間は当然とても限られています。毎日1時間集中して勉強し、5年かかって私立の医大2校に正規合格しました。

その後医学部を5年間で卒業し、国家試験には一発合格しました。
avatar
ひさみん
うわ、すごい!大﨑先生の意思の固さが感じられますね!

眼科医を選ばれたのは、やはり調剤薬局の時からのご縁でしょうか?
avatar
大﨑先生
そうですね。眼科だったら薬剤師時代に培った基礎がすでにあったので。

実は子供が好きだったので、本当は小児科に行きたかったんです。在学中に3ヶ月間、ハーバード大学に臨床研修留学した時も小児科を選んだのですが、修行に10年もかかるので年齢的に難しいと判断しました。
avatar
サヤコ
なるほど・・・。アメリカでの経験は役に立ちましたか?
avatar
大﨑先生
そうですね・・・。正直、やってることは日本と全く変わらないです。医学そのものを勉強するために、アメリカに行く意義はもうあまりないですね。

ただ医療を運営するシステムに関しては、学ぶことが非常に多かった。例えば夕方5時になったら、強制的に帰らされるんです。日本ではあり得ないですね。
avatar
ひさみん
確かに(笑)

Part 2に続く・・・。

著者プロフィール