高校3年ギリギリでの進路変更

高校生のみなさん、はじめまして! ココロに火を灯すモチベーター、松本宏子です。 今回から何回かに渡って、私の経験から、みなさんの参考になりそうなことを書いてみたいと思います。

憧れて入学した高校は進学校だったので、早々に落ちこぼれはじめ、学業についていくのはかなり苦労しました。公立中学の頃はまぁまぁできるまじめな子ぐらいだったのですが、高校は進学校だから周りは秀才や天才が集まっており、すごい人っているんだなぁって思ってました。

クラブ活動は、タイプライターというものをカチャカチャピーンと打つのに憧れて、ESSに入部。パーソナルコンピューターが売り出され始め、ワープロ(ワードプロセッサー)もやっと使われ始めたばかりの頃で、まだ一般的ではなかった頃のことです。

そのクラブでは、タイプライターはマスターし、自分の目的は達成しましたたが、メインは英語劇のクラブで、前に出る方ではない私にはなかなかの苦労でした。英文タイプやりたかっただけですと訴えましたが、役がつき人前に出なくてはならなくなり、真っ青になりました。とはいえ、そのおかげで英語劇で舞台を踏んで、結構度胸はついたのかもしれません。

進学校でしたが、文武両道を謡っていて、体育祭も盛大に行われるところでした。3年生の体育祭の時には私は体育委員に立候補し(前に出る方ではなかったのに⁉)、企画を立てたり、みんなで何かを創り上げる楽しさを知りました。勉強はあんまりついていけてないし、とりあえず、楽しもうと思ったんでしょう。

読書や地理が好きだったので、自然と文系に進みました。その頃は、難しい言葉を使ったりするのがカッコいいと思っていたので、法曹関係に進もうと思っていました。なぜかわからないんですが、高校3年の10月頃に、「私、法曹関係なんて絶対向いてない!」と気づきました。その時は、その時で、必死でしたが、今考えると、ここで気づいた私、Good Jobと思います。どう考えても、絶対自分には向いていないから。でも、タイミングとしては最悪。今まで受験勉強してきましたが、これから進路変更できるのかよくわかりませんでした。

そのころ、私の高校では、人気の歴史の先生が「正しい農学部の受験法」と題し、文系から農学部に進学するのを冗談半分本気半分で薦めていました。その影響もあったと思うのですが、特に、理系・文系という枠を考えずに、進路を考えることができました。

大好きな叔母が臨床検査技師で、その仕事自体はよく知らなかったけど、白衣着てする仕事もカッコいいなと思いました。(とりあえず、私は、カッコいいに惹かれることが多いのです。) そこで、臨床検査技師になるためにはどうすればいいか調べてみました。文系から看護に進む人もいましたから、少しは情報がありました。文系だけど自分の履修していた科目で受験できそうだということも分かり、理系短大(3年)を受験することにしました。一応両方受験し、公立大学法学部も合格しましたが、私立理系短大に進学。周囲からは反対されましたが、説得しました。

海外への憧れ

臨床検査技師になってなかったら、国際的に活躍できるような仕事についていなかったかもしれないし、自分の選択には後悔はしていないです。

もうひとつの憧れは、海外でした。

小さいころから、海外が舞台の物語ででてくる風景を自分で想像しては素敵だなと思っていました。洋楽を聴いては、よくわかってない英語の歌詞を聴きながら、カッコいいと思っていました。その文化に直接触れてみたいと小学生ぐらいの頃から思っていて、留学にも憧れていました。

ただ、留学については、家庭の事情と親の反対があって、親から「自分で働くようになったら好きなようにしていいから」と言われていました。大学も実家から通えるところという条件がありました。

親にお金を出してもらっている間は仕方ないと考えて、親の言った条件にしたがって、実家から通える短大に通いましたが、文系大学から理系短大に進路を変えたように、留学や県外への進学に対しても、自分の強い意志があれば説得できたのかもしれません。とはいえ、親を説得して県外への進学や留学するまでの強い決意は私は持っていませんでした。

要は、自分がどうしたいかという強い意志だと思います。

とはいえ、若いあなたたちが進路を選ぶときに悩むことも多いと思います。まるこさんが紹介して下さった本、八木仁平さんの「やりたいことの見つけ方」を読んでみるのもいいと思います。

今、はっきりとした進む道や進みたい方向性が決まってなくて不安に思っている人もいるかもしれません。でも、大丈夫です。

なんとなく、自分の好きなことができる道をその時その時に選択していけば、自分の方向性がつかめてくるようになると思います。

私は、34歳の時にイギリスで理学修士を取りました。青年海外協力隊で臨床検査技師として英語でサモアで活動したことで、海外留学は自分にとって手の届く目標になっていました。また、国際医療協力に従事している人たちが進学している大学院を知ってそこで勉強したいと強く思うようになりました。その時にはさすがに親には反対されませんでした。自分で決めて、自分で旅費も滞在費も学費も自分が働いて貯めた貯金と奨学金で賄いました。自分で決めて勉強したいと進んだ大学院です。なんとなく行っていた短大の時よりもっと集中して夢中になって勉強したのを覚えています。

また、50代になってから、大学院に進みました。博士号を取りたいと思ったからです。博士号があった方が、国際的に仕事をする時に有利だということがよくわかったこと、もっと深い研究をしたいと思ったこと、仕事をしながら大学院に行くことについての環境が勤務先で整ったことなどからです。

あなたの進む道

自分でもかなり回り道をしているとは思います。職業もかなり転々としました。でも、無駄なことはしてないなと思っています。どれもこれも私には必要なことでした。

何事にも遅いということはありません。だから、今、自分が好きなこと、得意なこと、自分の価値観がはっきりわからなくても大丈夫。そのうち、はっきりわかってくる時が来ます。

親や先生は、いい大学に行った方がいいとおっしゃると思います。特に自分の方向性の決まっていない人は今頑張っていた方がのちのちの自分の方向性を広げ、可能性を高めることになるのでその通りにするのがお勧めです。ただ、しっかり自分の進みたい方向性が決まっているのだったら、親や先生を説得するべきです。そして、その時には、なぜそうしたいのかを論理的にそしてあなたのストーリーと一緒にその熱意をアピールすべきです。

親と先生たちが高校生だった時代と今は違います。それを実は大人たちはよくわかっていません。自分自身の夢をあなたたちに叶えてもらおうとする親御さんもいらっしゃるかもしれないし、自分が若かった頃そのままの価値観でこの業界がいいなどと進めてくる人もいるでしょう。昔は考えられなかった職種や業種が今はあります。そしてそれをあなたが始めに創る人になるかもしれません。

自分の信じる道を行ってください。未来は自分で形作るのです。

親のためでも、先生のためでもなく、あなた自身のために。

Photo by Johannes Plenio on Unsplash


ゲストライター:松本宏子

某研究所研究員。感染症対策専門。国際研修、途上国での国際医療協力に従事、開発途上国各国で200人を超える教え子が感染症対策分野で活躍している。

福岡県立福岡高校卒業、産業医科大学医療技術短期大学衛生技術学科卒業(臨床検査技師)、青年海外協力隊でサモア派遣、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院理学修士、現長崎大学医歯薬学総合博士課程在籍中。

カリンバ・ミュージック・セラピー協会代表、某市男女平等推進委員